圏論初級徒然4
補題(p62の系)
の終対象のみで張られる充満な部分圏は、空であるか可縮な亜群である。
特に2つの終対象はユニークに同型である。
可縮な亜群とは、「対象が1つしかない圏に同値な圏」であり、あるいは、
「すべてのhom集合がただ1つしか元を持たない圏」のことである。
さて、系の内容は、終対象の意味を考えればものすごく当たり前に聞こえる。
が、その証明が、何を言ってるのかよくわからない。
で、今日は半日この系の証明の意味を考えていた。
こういう一見当たり前のことの証明の中になにがしかの真実、著者の訴えたい
何かがあるのではないかと思うのだ。
しかし、結局、わからなかった。(将来の課題とする。)
もちろん、普通に証明を考えれば、それはできる。と思う。
それからまた謎めいた定義がある。
定義 普遍性
の対象 があり、表現可能な関手 と要素 が
米田の補題を介して (または )の自然同型を
決めるとき、 の普遍性が と普遍な要素 によって表されている」という。
(直訳ではない。)
普遍要素のことなら知っている。マックレーンを読んだから。
しかし、「 の普遍性」とはなんだろう。
リール先生はきっと何かを伝えたいのだと思うのだが、まだよくわからない。
言っているようなことを書くと、次のようになるだろうか。
は表現可能というのだから、うまい を選べば、 が自然同型と
なると考えていいだろう。
だから(米田の補題の表明を逆にたどって)次のように構成できる。
すなわち、
に対して 。
例 忘却関手
これはよ〜く考えると という自然同型を導く。
ここでその同型を決定しているのは「 が の何に対応するか」である。
上のように書いてみると、
で、 に対して 。
例 テンソル積
あくまで同じ形式でやりぬく。
で、 に対して 。
もちろん、 であり、
「双線形の写像はすべて の形で書ける」ということである。
(私訳)定義の言葉で書くと、
「 の普遍性が と で表されている」
「 の普遍性が と で表されている」となる。
表されているだろうか。
元ネタ:Emily Riehl : Category theory in context