圏論徒然8 極限・余極限の保存・反映・創出

定義 極限の保存・反映・創出
K\hspace{3}:\hspace{3}J\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}CF\hspace{3}:\hspace{3}C\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}D があるとする。
F は極限を保存する。  \Longleftrightarrow
 K が極限錘を持つなら、それを F でうつしたものも極限錘になる。 
F は極限を反映する。  \Longleftrightarrow
 K の錘を F でうつしたものが極限錘なら、もとの錘も極限錘である。
F は極限を創出する。  \Longleftrightarrow
 FK が極限錘を持つなら、K の極限錘で F でうつすと
 FK の極限錘(元の極限錘とは言ってない)になるようなものがある。
 また、F はその極限を反映する。
  
定理
F が極限を創出し、実際に FK が極限を持つなら、当然 K は極限を持ち、
F はその極限を保存する。
 
(証明)
\mu\hspace{3}:\hspace{3}d\hspace{3}\longrightarrow ^\cdot\hspace{3}FK を極限錘とする。
すると、 \lambda\hspace{3}:\hspace{3}c\hspace{3}\longrightarrow ^\cdot\hspace{3}K なる極限錘があり、F\lambda\hspace{3}:\hspace{3}Fc\hspace{3}\longrightarrow ^\cdot\hspace{3}FK も極限錘になる。
ここで、別の極限錘 \lambda'\hspace{3}:\hspace{3}c'\hspace{3}\longrightarrow ^\cdot\hspace{3}K があったとする。
すると、極限錘の頂上は同型なので c\hspace{3}\sim\hspace{3}c' で、関手は同型を保存するので、Fc\hspace{3}\sim\hspace{3}Fc'
したがって、 F\lambda'\hspace{3}:\hspace{3}Fc'\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}FK も極限錘になる。
 
補題
充満忠実な関手は極限・余極限を反映する。
 
補題
圏同値は極限・余極限を保存し、反映し、創出する。
 
定義  厳密に創出
K\hspace{3}:\hspace{3}J\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}CF\hspace{3}:\hspace{3}C\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}D があるとする。
次の条件を満たすとき、F は極限を厳密に創出するという。
すなわち、FK が極限を持つとき
・その極限錘にうつされる K の錘が唯一つあり、
・それが極限錘である。
 
これはマックレーン先生が単に「創出」と言っていたものだと思う。
strictly create で、その訳を知らないので「厳密に創出する」と書いた。
が、辞書にしたがって「情け容赦なく創出する」もいいと思う。
 
命題
忘却関手 {\small{\prod}}\hspace{3}:\hspace{3}c/C\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}C
・極限と
・連結した図式の余極限を
厳密に創出する。
 
(証明へのコメント)
ちょっと楽しい。
何の役に立つのか知りたい。
 
p93に命題がある。
初心者が初見では何が言いたいのかわからないのではないだろうか。
(私はわかったという自慢である。
 この本は結構気に入っているし、リール先生はいろいろ「親切」だと思う。
 しかし、かっこよく(?)端折った書き方をしているような気もする。)
 
たとえば、2変数関数 f(x,\hspace{3}y) があったとする。
ここで x を固定して考えれば、y の1変数関数と考えることできる。
それで、とりあえず、x を固定していろいろやって(極限を取るとか)、
で、あとで、「実はこれ x の関数でした」なんて、言っていいのか。
「関手圏では言っていい」という話である。
 
命題
{\small{\prod}}\hspace{3}:\hspace{3}C^A\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}C^{Ob\hspace{1}A} は極限・余極限を厳密に創出する。
その極限は、a\hspace{3}\in\hspace{3}A を固定して C の中で見つければよい。
評価関手 ev_a\hspace{3}:\hspace{3}C^A\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}C\hspace{6}(\hspace{3}F\hspace{3}\in\hspace{3}C^A\hspace{3}\rightarrow \hspace{3}Fa\hspace{3}\in\hspace{3}C\hspace{3})
すべての極限・余極限を保存する。
 
(コメント)
K\hspace{3}:\hspace{3}J\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}C^A があれば、{\small{\prod}}K\hspace{3}:\hspace{3}J\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}C^{Ob\hspace{1}A}
C^A の世界での極限とは、\tau\hspace{3}:\hspace{3}\Delta_JL\hspace{3}\longrightarrow ^\cdot\hspace{3}K のような極限錐のことである。
ここで矢印の上のドットは(通常通り)自然変換であることを示している。
これを成分で書くと、\tau j\hspace{3}:\hspace{3}L\hspace{3}\longrightarrow ^\cdot\hspace{3}Kj
ここで矢印の上にまだドットがあるのは、L たちは C^A の世界の住人であり、
その世界での射は普通の自然変換であるからだ。
これをさらに成分で書くと、\tau ja\hspace{3}:\hspace{3}La\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}Kja となって、ようやくドット取れる。
ここで \tau ja は、ja の両方に依存するものである。
そもそも欲しかったのは、a はほっといて(あとでいつでも固定できるもの)、
j に関する極限であった。
しかし、落ち着いて考えてみると、はじめに a を固定して考えてよい
ということが、この命題のメインな主張である。
 
a を固定して、CKja たちが作る図式の極限があれば、
それを La と書いて、先ほどの逆に
\tau ja\hspace{3}:\hspace{3}La\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}Kja
\tau j\hspace{3}:\hspace{3}L\hspace{3}\longrightarrow ^\cdot\hspace{3}Kj
を作ることができる。
つまり、\tau\hspace{3}:\hspace{3}\Delta_JL\hspace{3}\longrightarrow ^\cdot\hspace{3}K が構成されるのである。
 
ところで、LL\hspace{3}:\hspace{3}A\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}C なる関手だった。
(関手であるべきだった。)
そこで気になるのは A の射たちを C の射にうつす「射関数」があるかということだが、
それは、La が極限であることから自然に構成される。だから、やっぱり関手なのである。
これは、「A の対象のみについて考えれば、射についてもうまくいく」ということなので、
{\small{\prod}}\hspace{3}:\hspace{3}C^A\hspace{3}\longrightarrow \hspace{3}C^{Ob\hspace{1}A} は極限を厳密に創出する、ということになる。□
 
なお、命題の最後の部分は、公式風に書くと、
ev_a(\lim_{\leftarrow}K)\hspace{3}=\hspace{3}\lim_{\leftarrow}(ev_aK)
ev_a(\lim_{\rightarrow}K)\hspace{3}=\hspace{3}\lim_{\rightarrow}(ev_aK)
となる。


元ネタ:Emily Riehl : Category theory in context